追悼・松村豪夫さん 2026.1.09

甲府クラブ設立40周年を記念して、新たなクラブ設立を!ということで甲府クラブから甲府21の立上げにご努力されてきたチャーターメンバー松村豪夫さんが2026年1月9日逝去されました。ブリテン委員会では過去の例会などの写真を掲載し、故人を覚えたいと思います。 <野々垣和宏>

思い出写真

2005年6月11日 東日本区大会 甲府富士屋ホテルにて
2010年6月5日 国際会議にて
この頃のYMCAは連雀問屋街に入口にありました
2000年12月10日 クリスマス例会
2021年11月 山梨YMCA バザー集合写真
2013年1月18日 4クラブ合同例会
2023年7月4日 甲府21クラブキックオフ例会&入会式
2012年11月10日 第2回東日本区役員会にて 松村豪夫さんは区会計でした
2023年6月 甲府で開催された第26回東日本区大会 受付メンバーとして
2023年 甲府市内のゴミを拾おう「清掃中」イベントで
ベビーカーコンサート事前打合せ会にて
クラブ員が集まってDM発送作業

2020年 甲府21 30周年を迎えるにあたり 単独インタビュー

佐藤       本日は30周年にあたり、設立当初の話を伺いたいと思います。よろしくお願い致します。松村豪夫さんは甲府21クラブの立ち上げにおいて、大変なるご尽力を頂いたと伺っていますが、きっかけからうかがえますか?
松村       私はもともと甲府クラブのメンバーでした。それは私が以前お世話になったくろがねやの布能寿英さんに「松村君、 甲府クラブに入りなさい」と誘われたからです。布能さんとは教会では会ったことがありましたが、話はしたことがありませんでしたから驚いたものです。そしてその甲府クラブに入ったのが、私のワイズメンズクラブとの出会い、スタートでした。
▼佐藤       甲府21クラブを発足させようというのは、どういうことで話があったのでしょうか?
松村       甲府クラブで、新しいクラブを設立しようということで山本昭太郎委員長、甲府市役所の方でしたが、その方の副委員長、書記みたいなものに私が拝命され、お手伝いさせていただきました。たまたま私は山梨YMCAとのつながりの中で、布能さんの前の秋山テイシロウ理事長とは、疎開仲間でして、秋山さんに誘われて疎開先の「ますおの教会に行ったのが当初の関わりです。わたしのお袋は、ますおの「青柳教会」で、洗礼を受けました。私は戦後しばらくしてから東京世田谷の家に戻りました。そこで私は秋山さんと知り合いになって、友達になりました。いったんは東京に戻ったものの親父の仕事の関係で、甲府にまた戻ってくるようになったのです。
▼佐藤       甲府クラブが、切っ掛けは40周年、であったと・・
松村       そうです、そうです。YMCAとの関係は、秋山さん、布能さんで、私自身が山梨大にいたもので、いいように使われて。
▼佐藤       メンバーは?人数は集まったのですか?
松村       そう、21人を集めようということで、そして甲府21というのは21世紀を展望していたんですが、結局23人ぐらい集まったのかなぁ。山梨というところはYMCAの力があるところで、それはもう大澤先生が関係しているのですが。
▼佐藤       じゃあ、21人のメンバーを集めるのに、そんなに難しいことではなかったということですか?
松村       なんだかしらないけれど、私が地元にいて、布能さんの力、高野孫左衛門さんの力があって、できましたね。
▼佐藤      いまでは一人を増やすのも大変な時代になりましたが。当時の21人はたいしたものですねぇ。
松村       それはHi-Y(ハイスクールYMCA)のOBが、山梨YMCAのメンバーであったということが大きな力になりました。そのOBが結構強力なメンバーだった。 
▼佐藤       (甲府21ワイズメンズクラブの発足は)甲府クラブにそういう力をもった方々がいらっしゃったということと、ハイYというバックグラウンドが堅かったので           、集めやすかったということでしょうか?
松村       そうです。甲府クラブを見たときに、それはライオンズやロータリーのような面を持っていましたが、そうではなく、キリスト教を中心とした会を作って、ということで新しいクラブのメンバーを募集しました。当初のメンバーはハイYのOBが多かった。
▼佐藤       (当時の)よかったこと、ご苦労なったということはありますか?
松村       あまりないかなぁ。なにもしなかったから。みんながやってくれたから。結構楽しかった。メネットの人たち、奥さんたちが協力してくれたから。バザーなんかも一緒にYMCAの行事に参加してくれましたね。(甲府クラブは)女性もあまり出てこなかったし、YMCAとの関係も薄かったのでは。(甲府21は)ロータリーやライオンズじゃないクラブを作ろうとしていたので、違いましたね。
▼佐藤       スムーズに立ち上げられた、と。(甲府クラブの)40周年の一面として立ち上げられたとか。
松村       40周年の委員長は山本さん、でしたね。あとYBSの職員だった深沢さん。その方々と一緒になってチャリティーランとかバザーとか(甲府21が中心となって)やりました。最初に甲府21を作った時のテーマは、「地方病撲滅の林先生」を支援しようということでした。なので最初は林先生に協力してレイテ島だったかにも行きました。
▼佐藤       そちらまで支援活動で行かれたということですね。
松村       そう。薬袋さんとか行きましたが、その支援をするというのが〈甲府21の〉最初の目的だった。
▼佐藤       凄い、世界的な視野の支援活動でしたね。
松村       私は勤めていたのでそういうことは出来なかったのだけど。
▼佐藤       親クラブとの関係はいかがでしたか?
松村       全然かわらないんですよ。向こうは向こうでやってましたから。交流していたわけではないから。
▼佐藤       では、甲府21ワイズメンズクラブは21人のメンバーでスタートして、21世紀にふさわしいスタートとなったということですね。
松村       そうですね。みんなよくやってくれましたね。チャーターメンバーは、ほとんど残って、病気で亡くなったかたが何人かいますが。
▼佐藤       初代会長はどんなカタチで決められたのですか?
松村       どうしたのかなぁ。ただ功刀先生が「引き受けてやる」と仰っていただいた。あの頃北病院だったのかなぁ。功刀先生にお話をしたら興味を持ってくださった。林先生との関係で功刀先生に。なので初代の会長はすんなり決まりました。キャップがでたわけだから、あとはみんなと一緒にやろうという感じでした。
▼佐藤       具体的な活動は地方病撲滅ということでしたね。
松村       はい。寄付金集めなどもやりましたね。YMCAは募金で成り立っているものですから、募金をお願いすると山梨の場合結構集まるんですよねぇ。駅前ブランチを作った時も、募金だったし。40周年の時も。結構募金をすると山梨YMCAは集まる。不思議と。
▼佐藤       いま甲府21では当時の意思を継いで飛躍しようと。最初は21名でスタートしたのが一時16名に減りましたが今は40名を越えようとしています。さて、最初の段階でのご苦労があってのことですが松村さんとしてはこれから我々はどのようにしたらいいと思われますか?
松村       難しいなぁ。やはり、いろいろやったことを思い出すと、中島君がそばにいてすべてやってくれました。だから私はなんにもしていないんですよ。だから中島君が病気で亡くなられたので、その後は私は出来ていない。中島君がいたからいろいろ活動が出来た、ということです。そういう意味では私が言い出しっぺですが、すべて中島君がやってくれた。私はダメでしたが、やる人がいたから出来た。そしてキャップが居たから。
▼佐藤       そうすると推進者がしっかりしていた、ということでしょうか。
松村       功刀先生と中島君、大きいですよね。功刀先生と、駒田さん。駒田さんも(東日本区の)理事もされたし。(甲府クラブではおもしろくない。先に理事をやられた・。)
▼佐藤       甲府21クラブの基礎となる「機関車」と「運転手」さんがうまく機能したということですね。
松村       あとは、汽車のメンバーがいたから、ということです。よくやってくれたから、ということですね。一人一人が責任をもってやる、と。(甲府クラブでは)あんまりそういうようには見えなかった。(甲府クラブは)ただ月に一回ミーティングをするだけ、というように見受けられた。
▼佐藤       最後ですが、甲府21の若い人がどんどん増えていますが、そのような方々に対してどんなことを期待なさるのか。
松村       YMCAというのは、キャンプ事業が一番だからね。キャンプを重視して継続してやるということが若い人を集めるときにも大事だと思います。ボーイスカウトもそういう意味では、一緒かもしれないけれど。キリスト教の考え方を、信者になれということではなくって、大事にしたキャンプをするということ。そういう趣旨のキャンプを子どもたちと一緒にやる、ということが、もっと充実していくということがいいんじゃないでしょうか。
▼佐藤       バザーは60回続いていますが、そういうことについては?
松村       YMCAを支えるにはお金がなくてはならない。職員もいるわけですし。資金稼ぎをするにはバザーが一番。YMCAは建物を3回ぐらい建て替えています。最初は甲府教会の横にあったんです。(第一生命の裏にあったと聞きました。)少しずつ大きくなってきた。その都度、YMCAは募金で成り立っているのだけど、その募金がうまく機能した、と思います。
▼佐藤       ということは、クラブとしてYMCAを「募金」を通じてこれからも支援をしていかなくてはならない、ということですね。子どものために資金を集め、バザーを利用し、ということでしょうかね。
松村       バザーで資金を作って子どもたちのキャンプの援助をしていく、ということ。そのためのワイズメンではないか、と思います。
▼佐藤       ありがとうございました。



松村豪夫さん、ありがとうございました ゆっくりとおやすみください

松村豪夫さん、ありがとうございました ゆっくりとおやすみください

ブリテン委員会ではみな様の写真を保管致します

甲府21ワイズメンズクラブの皆さんの、お写真を募集しています。条件は、1)必ずご本人が写っている写真であること 2)できるだけ詳細が分かること いつ、どこで、何の写真か 3)甲府21クラブWebサイトでの公開許可があること 4)クラブ員のご不幸などがあった場合に、参考写真として掲載することを許可してくださること 以上が条件です。

甲府21クラブ ブリテン委員会 事務員までメール等でお写真をお送りください。

送り先 yamamoto@bestpartners.tokyo

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